警視庁キャリア組で春まで情報部長付専門官だった男。沖田とは同期にあたり、それぞれのポストの権限を融通しあいながら仁藩の治安改善に努めている。人脈と経験、専門知識を駆使し、断片的な状況証拠を組み合わせて一つの情報(インテリジェンス)を導き出すことに関しては天才的と言われた。
検神局設立とそれにまつわる人事異動の真意についてもいち早く気づいたが、「警視長昇任を控え旧都の花形部署へ」という名目で那羅を離れた。兼務配置で余力を奪われるほどの激務に追われ、中央への影響力をいかせずにいるが、変遷については冷ややかに見つめている。