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天原正道

[情報時点:国風時代

「…ふむ…このような献策はいかがでしょう」

基本情報

天原 正道
あまはら まさみち
AMAHARA Masamichi
種族 人間
性別
身長 161cm
体重 50kg
生年月日 845年02月14日
拠点場所 仁藩 都(現:旧都)
所属 天原家

概要

 都にて天原是貴の子として生まれ、文章道の他、数多の分野の知慧者として評価され、参議の位を得、天原家として初めて公卿にまで至る。それだけの官位と待遇を受けても鼻にかけることはなく、穏やかで周囲に慕われていたという。しかし、左大臣であった中条桐定が帝に讒言したことにより、鎮西守として左遷(藤華事件)。失意の後に死亡したと言われる。その後、宮中では落雷事件や都を伝染病が流行るなど凶事が続き、彼の恨みがささやかれた。その後即位した宇和帝の宇和の詔勅により左遷が解かれ、神としての称号が与えられ、一族に天継(あまつぎ / Amatsugi)、天宮(あまみや / Amamiya)、御影(みかげ / Mikage)の姓が贈られた。
 著名な歌は「雨雫 いかにもせんか 嘆けとて ながるるならば ゆだちにおなじ」