[情報時点:国風時代]
都にて天原是貴の子として生まれ、文章道の他、数多の分野の知慧者として評価され、参議の位を得、天原家として初めて公卿にまで至る。それだけの官位と待遇を受けても鼻にかけることはなく、穏やかで周囲に慕われていたという。しかし、左大臣であった中条桐定が帝に讒言したことにより、鎮西守として左遷(藤華事件)。失意の後に死亡したと言われる。その後、宮中では落雷事件や都を伝染病が流行るなど凶事が続き、彼の恨みがささやかれた。その後即位した宇和帝の宇和の詔勅により左遷が解かれ、神としての称号が与えられ、一族に天継(あまつぎ / Amatsugi)、天宮(あまみや / Amamiya)、御影(みかげ / Mikage)の姓が贈られた。
著名な歌は「雨雫 いかにもせんか 嘆けとて ながるるならば ゆだちにおなじ」